現在私は、農業・漁業、次世代や他の生命に対する責任など……環境と社会全体をコントロールしていく生活のイノベーションとしての建築を志向しています。これからの建築家に求められるのは「トータルに世界を捉える」「日常の中から独自のコンセプトを発見できる」能力でしょう。武蔵工大の建築家スピリットを受け継ぎながら、時代の風を捉えることができる有能な後輩たちが多く育ってほしいと思います。
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日本IBMでのPC開発、出向先のセガでドリームキャストの立ち上げ、さらに大きな仕事を志しての起業……波瀾万丈の技術者人生を送ってきました。技術者に不可欠なのは、自分に対する自信です。在学中、厳しくも面倒見の良い先生方に鍛えていただいたおかげで、社会人に成り立ての頃からすでに情報処理技術者としての自負心がありました。そこで一言。「後輩のみんな! 武蔵工大で4年間きっちり“修行”を積み、世の中でトップをめざせ!」
大学在学中、授業で難解な数式をまるで魔法のようにスラスラと理解する同級生を見て、自分は専門技術者として生きていくべき人間ではないと痛感。メーカー以外の就職先を探して、目に留まったのが日本警備保障(現セコム)。まだ株式上場前でしたが、この会社はもっと大きくなるという予感めいたものがありました。技術者の道はあきらめた私ですが、武蔵工大で技術を学んだ経験は、現在も私の血肉となっています。
30年前の創立当初、わが社は今で言うベンチャーでした。そんなできたての小さな会社を支えてくれたのが、武蔵工大の後輩たち。彼らは今や各部門、系列企業のリーダーとして采配をふるっています。ものづくり=技術者を志向する若い人たちに大切なのは、シミュレーションで満足せず、できるだけ多く「現物」に触れること。そうした経験の積み重ねから、ものづくりの基本と精神を学べるのです。
私は部下の失敗を恐れません。むしろチャレンジ精神をなくすことを恐れます。時には「市川さんは部下に優しすぎる」と怒られることもあります。確かに一生懸命仕事に取り組んでいる部下には優しいかもしれませんが、中途半端な仕事ぶりは決して許しません。若者には、自ら限界を設けず、あらゆることに挑戦してほしい。その活力が、企業の未来を拓く原動力になるのですから。
私の在学中、まだ設立されたばかりの経営工学科には学生と教員が一体となって新しい学問を創り上げていく情熱がありました。現在の私の経営理念は「スピード」と「情報の共有化」です。変化の激しい時代に対応できるものづくりの革新をめざして、そして社員1人ひとりが100%の力を発揮できる企業風土をめざして……今も学生時代に劣らぬ情熱を持って、挑戦を続けています。
創業者である祖父の機械いじりを見ながら育ちました。高校卒業後、東京で“社会勉強”をするつもりで、故郷神戸を離れて武蔵工大に進学。厳しさの中にもユーモアを感じさせる先生方にはずいぶんと鍛えられました。社長である今も技術者を集めた開発会議では、自ら新しいアイデアを披露することもしばしばあります。学生時代から憧れだった本田宗一郎氏と同じく、私も根っからの技術好きなんですね。
バンダイでは、若い人にどんどんチャンスを与えます。また、一度失敗しても再チャレンジすることができます。夢とやる気がある人にはこれほど楽しい職場はありません。しかし自分から積極的に取り組む姿勢がないと、たちまち周囲に置いていかれてしまう……まるでジェットコースターみたいな会社です(笑)。自分の夢に対してハングリーな気持ちを抱いている後輩に、ぜひ、わが社に来ていただきたいですね。
大学卒業後、メーカーに就職したものの、3年ほどで挫折。25歳で理工系出身者がほとんどいないホテルビジネスの世界に飛び込みました。3年遅れの、そしてゼロからのスタート。「今度こそ!」という気持ちで10年間はがむしゃらに働きました。そんな私の心の支えとなったのは武蔵工大での充実した青春の4年間と、そこで身につけた理系的な思考。それは経営者となった今でも私の大きな財産です。